茶道爐邊夜話18 茶器の見立

見立てのお話。

使用目的があつて造られた道具を使ふ場合には取合せに注意すれば良いが、他の用途に當てる為めに造られた道具を茶道具として採用する。
即ち見立てゝ使ふのは、却々興味のあるもので、成功すれば本來の目的で造られたものに得られぬ味があり、變化のあるものであるが、失敗するとなれば、全く目も當てられぬ不恰好なものである。

見立ては成功すればいいが、失敗すると目も当てられない。
その用途に期待される格を、見立てられた道具が持っていないからだろう。
会社にパジャマで出勤してしまった様な気恥ずかしさか。

この使用目的、例へば茶碗に使えるか否かを知るのは、濃茶々碗にしても薄茶々碗にしても、茶が點てよいか、茶を喫みよいかゞ先決問題で、茶の點ち難い或は喫み難いものは、茶碗としては、其の價値が乏しいのである。

見立て道具に必要なのは、最低限その道具としての機能である。
面白さだけで道具に採用しちゃいかんということじゃろう。

然しこれだけでは、普通の實用陶器であつて、茶道具としての茶碗とは云へないので、其所に何か見處を必要とする。
この見處といふのが却々難しいので、人々に依つて見解が異つて居て一概に云へないが、要するに、感の問題で理論があるとにしても、それは後に加へたものである。

茶道具として必要な見所をどう考えて選定するか。

著者の答えは「感」か。がっかり。でも誠実な回答かもしれない。

それから今一つ、昔から色んな話の種になつて居る事であるが、一段格を下げて道具を使ふ。
例へば茶碗にも使えるものを火入にするとか、水指にでも使えるものを建水にする。
或は菓子鉢になるものを食器に活用すると、普通品が上等に見えるので、恰も總理大臣で光らなかつた人も、平大臣になると何だか特に偉く見えるのと同じく、本質に何等異ならないにも拘らず、用途に依つて光を増すのである。

もっと上の道具を下の道具にするのは成功しやすい。

そりゃそうだろう。その用途に期待される格を、見立てられた道具が必要以上に持っているのだから。

スーツで就寝してしまった様なスタイリッシュさか。…あんまり適切な例えじゃないね。