茶道爐邊夜話23 立禮

著者の立礼への考え。

泰西文明が輸入され、西洋風の椅子に依る生活樣式が採用され、實務を執るには、従来の座式は殆んどなくなり、家庭生活にも椅子の樣式が採り入れられ、應接間は多くこの式を用ひ、若い人は大低西洋風の住宅に日常生活を營むので、茶の湯にも椅子と卓子に依る立禮が盛んになりつゝあつたが、唯今は一寸下火のやうである。
其の原因は懐古趣味の影響も多分にはあるが、より以上、茶の湯は座式に依らなければ
不都合を來すことの多いに依るのである。

立礼は、西洋文化の浸透とともにひろがったが、昭和初期にはやや下火になったという。

第一は席、それも小間では、現在のものに椅子卓を配置すると、それだけで一杯になる。
従つて如何しても八帖以上の廣間でなくてはならない。それも天井を高くしないと座敷の調子が變なもので、
(中略)
従つて菓子を頂き、お茶を喫み、道具を拝見するには不適當であると思はれる。

理由の一つは、小間に椅子を持ち込むと狭いし低いから。

…小間でやらなきゃいいじゃん。
ていうか、西洋式になった、という文章と矛盾があるまいか。
応接間でやるべきなのでは?

次は氣分の問題で、
(後略)

ここは引用するのも面倒。

要するに、現在の立禮は過渡期の一形式であつて、茶の湯には不適當であると云ふのが、中庸を得た結論ではあるまいかと思はれる。
であるから、将来は建築と竝行して考案された立禮、然もそれが間に合わせではなく、安定性のあるものが要求されるやうになると思ふ。

残念ながら、立礼は過渡期の一形式ではなかった。

裏に始まった立礼は各流派に取り込まれつつ、勢力を広めていった。
特にデパートとかの設備の乏しいとこでの活用は実にすさまじい。

しかし全然お点前として進化しなかった。

勢力が広まったのにお点前が進化しなかったのは簡単な理由。

わざわざ応接間を茶の湯用に設計する指導的な茶人がいなかった。…いやちゃんと言おう。儲からない事を推進する酔狂な家元がいなかった。

あと、適当な点前なんでこれでヨシとしてこれ以上を目指す家元もいなかった。

そんだけのことであろう。


でも結果を見ると立礼は「おためごかし」的に存在するだけで、西洋間を積極的にお茶に活用する気風は発達せず、「座式じゃなくっちゃだめだね」という著者の意見はあたっていた事になるのか。
残念なような、当然のような。