茶道爐邊夜話24 濃茶の喫み廻し

濃茶の喫み廻し、いわゆる吸茶について。

偖、この濃茶の喫廻は、近代人は衛生上面白くないと云つて盛んに攻撃し、客組に結核や、梅毒のやうな傳染患者が居たならば如何するかと云ふが、それは茶事の實際を知らぬ。

昭和初期頃。いろんな茶人が「新しい茶道」を提唱していたが、濃茶の喫み廻しは割とやり玉に挙げられやすかった。
各服にしたり、それじゃ時間かかるからまとめて点てて注ぎ分けたりといろんな工夫が提唱された。

…全部駄目だったのか、いまじゃ誰もそんな事言わないけどね。

茶事に客を招くには、主賓に案内状を差し出すと共に、連客の選定も依頼する場合と、客を主人が選び一人宛に案内状を差し出す場合がある。
前者の場合には問題ないが、後者の場合には、客同志の親交の程度を第一に考慮し、趣味、教養の餘り距たらない人々を集めるので、これが却々思ふやうに行かぬもので、これさえ成功すれば、他は非常に順調に進むのである。
そして客は、主人を始め連客に對して、如何に親密な間柄とは云へ、自分が傳染病に罹つて居るのを知り乍ら出席を諾するが如き茶人は絶對にないのである。
前の場合も亦正賓から推薦されるのであるから、猶更そのやうな場合遠慮するのが常識である。

茶事は客組が閉鎖系なのでそもそも除外できる。

次に公開の席の場合であるが、この時には自分が傳染病の場合などは遠慮するから、これも問題ではない。

大寄せは、本来わざわざ病気の人の行くものではない。

處が近來茶の湯の普及と共に随分非常識な客が増え、
(中略)
であるから心ある人は公開の席には出ないやうになりつゝある。

が、そこまで大寄せの客は信用できないので、まともな茶人は大寄せに行かなくなりつつある、という状況が昭和初期にはあった模様。

今公開中の映画じゃないが、サナトリウム文学華やかな頃、という背景を考えないとなかなか判り難い状況かもしれない。

まぁ、そもそもまともな茶人は大寄せに行かなくていいと思うんだけどね。