茶道爐邊夜話29 茶法の教授

茶の湯をめぐる雰囲気の判る一節。

何事に依らず、それが大衆化することは、其の本旨より遠ざかる一歩であるのは常に各方面に見られる現象であるが、茶道もこの例に漏れて居ないやうに感ぜられる。
然もそれが數百年の間に洗練はされて居るものゝ、幾分沈滯の氣分があるやうに思はれる。

昭和初期の茶の湯は、本来の道から遠ざかり、停滞さえしていたという。
まぁいつの時代だって「利休に帰れ」という言は無くならないわけだが。

そして現代の茶道はやれ茶道愛國だの、茶道忠君などと威勢のよう事を云つて居るが、實際茶の湯を催して居るのを見ると、中には精神も何もあつたものではなく、全くの點茶法のみに堕して居るとより思えないものになつて居るものさえある。

まぁ「忠君」が最初に来るような俗な一座建立は勘弁していただきたくはある。

名前を舉げても良いが、問題にするに足らぬから省略するが、彼が口に唱えて居る處と實際の相違の餘りに甚だしいに驚くのである。
例へば人の師範たる者が、飛石の外に立つて寫眞を寫す一事を以てしても、其の作法の粗末なのに驚く。
そして又侘を専ら唱えながら、其の好と稱する道具は、低級な華美に堕して居るのを見ても、其の教養や趣味の餘りに低級なのに呆れ果てるのである。

痛烈な批判だが、いったい誰の事だろう?

  1. 飛石を踏んでない記念撮影を発表している
  2. 割と華美な好み物を発表している

大正に比べれば有名茶人も減ってそうなので、絞りこめなくもなさそうな感じではあるが。

現在茶道の師範として堂々と看板を掲げて居る人々は、趣味、教養として茶の湯を學び、茶道の精神を究めやうとする者は少く、茶の湯を教授して、其の収入に依つて生活せんが為めに、茶の湯を習ふ、即ち一種の投資として茶の湯を學び、その収入を資本に對する利潤と考へるやうな人さへ相當多いのだから、其の教授する處は、茶の本旨よりも點茶手續が主なるもので、然も、利潤の多い場合は兎に角とし、普通には茶道具の周旋に迄口を添えて、別途収入を計るが如き哀れな心境に迄なつて居るので、恰も無知な株主が正當なる配當のみで滿足せず、株主なるが故を以て何かに就いて、其の關係會社より利益を取らんとし、會社其の物に損害を輿へるのを何等顧みないに似たものがある。

山上宗二の時代ですら、生活の為に茶の湯をする人というカテゴリがあったわけだし、利休も同時代の賜死理由の推測に「マイスノ頂上」即ち道具周旋の利益を貪ったという批判があるわけだし、ある意味「利休に帰って茶の湯の本旨」なのかもしんないよ?