茶道爐邊夜話33 利休好の日時計

茶の湯が流行するに連れて、茶祖利休が茶聖利休になり、リキユウと名の付くものは、なんでも彼でも利休が考案工夫したものゝやうに思ふ茶人がある。

明治から昭和に掛けての茶道史は、有力武家の貴ぶ遠州好みから脱却し、利休好みが再々発見されていく歴史である。
その同時代を生きた著者にとっても、利休の持ち上げられっぷりは違和感があったっぽい。

何時だつたか、千駄ヶ谷に利休形の日時計があるといふ噂が立ち、これは珍しいといふので、色々の説が持ち上つた。
流石利休は偉い。時代の新知識を吸収して好の形の日時計を造るなぞ、全く敬腹に價すると賞讃する者もあれば、侘び茶を唱導した利休が、西洋風の均整美を尚ぶ庭園に調和する時計を、露路に設ける筈がない。とは云ふものゝ何か思惑があつたのかも知れないが、古文書にも見えないから、其の眞相の不明なのは殘念である。と云つた風に。
處が後になつて其の眞相が明らかにされると、或る石工研究所から赤坂の離宮に献進された日時計を、造庭を任された技士が模作せしめて、庭に設けたもので、リキユウ形には間違ないが、離宮形で利休好ではなかつたのであるから、全くの笑はせ物である。

うん、特に私から追加コメントはないのだった。