茶人の名書簡3 今井宗薫自筆書置

紹鴎や宗達、宗及、宗久の書簡も紹介されているが、文句無く茶の湯にふさわしいからパス(ヲイ)。

ここで今井宗薫の書置を。

一 御知行之事ハ 公儀次第候度々御奉公申上候間唯今ハ定而可被下候
此儀ニハ平左衛門唯今之覺悟にてハ被為聞届候共可被召上候間左様ニ候へハあはうはらいニ相成候へハ彌以外聞うしない申候間此方より上ケ可申候
覺悟をなをし宗薫宗呑こと/\に少も不違きやうき可仕候
何共其身覺悟次第候者何とそたたしかき候て其儘平左衛門に渡可申候
(後略)

遺言状であるが、内容がちょっとアレ。

知行の事は幕府次第。何度も御奉公したのでなんとかなるでしょう。
でも、平左衛門の今の覚悟ではそんな知行も召し上げられ、阿呆払い(追放)になるだけなので、評判が悪くなるくらいならこちらから返上しなさい。
覚悟を直し宗薫宗呑と違わない様にしなさい。
なんでも自分の覚悟次第なのだから、この但し書きをして、そのまま平左衛門に渡しなさい。

…。

駄目な子への遺訓なのだけど、こんなものを喜んで掛けるというのもどういうものか。

それでも掛けたい!と思える程、今井宗薫は、慕うべき茶人だったのか?


70年頃は茶の湯が結構さかんだった時代。
なのに名物は既に納まるトコに納まっていた。

もしかして、なんでもいいから道具に仕立ててたって事だったりしないだろうか?