利休の逸話と徒然草

生形貴重/河原書店/2001年。

利休達の美意識や文化は、日本文化に脈々と流れているもので、徒然草によく代表されているよ、という本。

まず利休の逸話を紹介し、徒然草に類する話を求める、という構成。

こんな感じ:

今回も『南方録』の一節からお話を始めましょう。
「道具の取り合わせ」について、つぎのような記事があります。

小座敷の道具は、よろず事たらぬがよし。
少しの損じも嫌ふ人あり。一向心得ざるの事なり。

(中略)
この不完全美という美意識は、じつは文芸の世界では早く『徒然草』が論じていることで、たとえば、第八十二段にはつぎのように述べられています。

「羅(うすもの)の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりて覚えしか。

面白い企画ではある。

でもネタに困り出して、途中で徒然草の話のない回が増えだしたり、かなり牽強付会な比較があったりする。

例えば:

右のような道具への敬意は、利休が侘び茶を成り立たせる要素として、道具作りに携わる職人たちの技がいかに大切であるかを知り抜いていたことを教えてくれます。
(中略)
茶の湯が中世の芸能であることは周知のことですが、
(中略)
たとえばゲームや賭博なども芸能の一つでしたが、そのような「道」の人の声が『徒然草』から聞こえてきます。
第一章で触れた段ですが、もういちど引用します。

双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。
(後略)

巧妙に話ずれてってるよ!

頑張ってるのは認める。でも最後まで貫けないならもっと軽いテーマで書けばよかったんじゃねーの?