利休を巡る色々6 センノリキュウの誕生

千利休を「センノリキュウ」と読むのは不敬である。だから「センノリキュウ」は「当時としては」実在しなかったのだ、と私は思う。

では「センリキュウ」はどうか?

利休は居士号で、在家の仏徒である。
居士号は居士号単体で呼ぶものだと思うのだが、名字の田中と併せて田中利休というのはまぁギリギリ「アリ」だと思う。
だが、千という屋号と合体させるのは不自然で苦しい。

さらに。居士号下賜自体は明確な証拠も根拠もない。


だから私は、居士号下賜というイベント自体が「千利休」を誕生させるための虚構なんではないか?と疑っている。
居士号で禁中茶会に出たのは確かだろうが、その居士号は本当に下賜されたものだったのだろうか?


そしてなぜ千家は「田中」の名字を捨てたのか?

千家が仕官した頃には通称としての千宗易、という名が広まっていて、そっちの方がバリューがあったから、千を屋号でなく名字としたかった、という説を考えている。

んでもって、千を名字にする為に「田中千阿弥」の存在までデッチアップしたんじゃねーかなー。

一度滅んだ商家が、武家社会に食い込む為にそれぐらいのファンタジーを試みるぐらい、あってもおかしくないと思うのだ。


で、由緒のない「千」という名字に箔を付けるための居士号下賜だったんじゃねーかなー。

その影響でいつか千はセンノと発音する事になった。でも利休と言う名でないと箔が付かない。だってセンノソウエキとは誰も言わないもん。生前マイナーだった呼称である利休が幅を利かす様になったのもそのせい。


そんな経緯でセンノリキュウは誕生したんじゃねーかなー。