普齋書入便蒙鈔

山田宗偏の茶道便蒙鈔に杉木普斎が朱書きを入れたもの。
茶道全集巻の十二、文献編に収録。

便蒙とは「子供にも判る」ぐらいの意味。
江戸前期(1680年)に、そういう入門書が出版される状況だった、というのは面白い。

この時期、宗偏は三河吉田小笠原家の祿を喰んでいた筈なので、この出版に吉田藩はどう関与/許認可/反応したのか知りたいところ。


出版は丸屋源兵衛と大和屋十左衛門と大和屋伊兵衛。調べた範囲では大和屋は京の出版者。おそらく京で出版されたものだろう。

晩年を江戸で過ごす事になる宗偏だが、まだ京に軸足を置いていて/江戸を市場と認識していなかったのかもしれない。


普斎の書き入れの原本は伊勢神宮禰宜 御巫家に伝わったものらしい。
これが普斎の真筆なのかは私には判断出来兼ねる。普斎も伊勢神宮関係者なので、可能性は高そうだが。

同じ師匠に師事したライバルが、変な事書いてないか本をめくってチェックする普斎を思うとほほえましいものがあるね。