普齋書入便蒙鈔2 第一 客約束の事

茶道便蒙鈔の記述:

一 客我と同輩ならは何日の何時に御茶可申候。御相客ハ誰々に可仕候と書状に認め遣すへし。叉相客を連状にても可遣也。
一 敬客ならハ何日の何時に御茶進上申度候。御相伴ハ誰に仕可然候哉と。參て伺てよし。状にて成とも時宜によるへし。
一 客の日限相究る以後。御出可有由忝との一禮あるへし。客の品により。自身行か。状便の了簡あるへし。

客が同輩の場合は「お茶しますよー相客は誰々ですよー」だけど、偉い人相手だと「お茶差し上げます。相客は誰にすればいいですか?」になる。
階級社会らしいお話であるがごく普通の話である。
ただ、客が前礼に行くのではなく、亭主が「来て下さる様でありがとうございます」なのが今とは違っている。
何時の間に主客が転倒してしまったのだろうか。


普齋の朱書:

客ト約束ノ三ヶ條トモニ宜シ
此書ニハナキ事ナカラ今ノ茶仁ノ客エ以書中申入ルニ京モ田舎モ來ル二日ノ晝御茶可申候御隙人候ハゝ三日ノ晝可進ソレモ御指合アラハ四日ノ朝可申ト幾日モ御案内イタシ申サレ候
遠甫ノ客ナトニハサヤウニイタシタキ物ナレトモ茶湯ノ本意ヲトリウシナフキ也
幾日モ申遣ス事ヲ但馳走ノ心トヤ存ルヤラン茶湯ノ案内之次第昔ト當世トハ相違仕タル事多シトウケタマハリ侍ル

前礼の方法も含め、普齋のOKが出た内容。つまり江戸初期の茶の湯の実態をきちんと示しているとのことだ。

あと、客に(一方的に)招待状を出した場合、合意形成が難しいので予備日を用意しておく、という方法があった様だ。

しかし普齋としては緊張感がなくなるからかお薦めしたくなさそうではある。

我々には充分『利休以後の初期茶道』の頃であるが、「昔と今は違う事多い」というのもまた、面白いね。