普齋書入便蒙鈔4 第三床之事
床の事より掛け物について。
茶道便蒙鈔の記述:
一 掛物に禁好あり。繪の類ハかけず。
墨蹟或は道人の哥。
或ハ祖師筆の畫賛を用ゆ。
哥ハ道哥の外ハ惡し。
戀哥ハ猶更不用。
選択肢の第一が墨蹟。んで道人の和歌そして僧侶の画讃。
和歌も道人のでないと駄目で、恋の歌なんかは使わないという。
(少なくとも宗旦門下では)室町時代には隆盛を誇った名物の唐絵を掛ける、という風習が完全に廃れていることがわかる。
普齋の朱書:
此ヶ條尤佳心得也。
茶湯ハ面白キ事也時首尾ニヨリ花ナクトモ懸物ナクトモ當日朝暮ノ風景ヲヨクシルヲ上手ト云ヘキ
戀ノ和歌トテサノミ嫌フヘカラス
ソコラニハイミ有事也
心得多シ
筆ニ難及事トモナリ
「花無くても掛け物なくてもその日の朝夕の風景を知ってるのが上手」というのは、おそらく桜の咲いているときは花を入れない、みたいなハタラキの話だろうか。
昔の茶の湯は季節感もへったくれもない事が多いが、ここでは趣向主義への萌芽が見られると言えなくもない。
恋の和歌だって意味が有るなら使わないわけじゃないよ、というのも趣向主義っぽい。
こういう注釈を読むと宗偏より普齋の方が趣味人として面白いのだが、宗偏は入門書として一般論を語っている筈なので、あまり例外事項を書けないのは仕方ないよね。