普齋書入便蒙鈔5 第三床之事

同じく床の事より、香炉の事。

茶道便蒙鈔の記述:

一 嗅(きき((原文では鼻+臭)))香爐ハ。名物か。拝領の物にてなければ床に。をかれす。
置時は。盆にのせ軸前眞中に置也。
此盆は底にほり物あるもよし。
灰のしやうハ何となくかきあげ。香敷は。雲母を九分四方に切。一分のめんを取。前より筋違に置なり。伽羅は四分四方にして木目を横に置へし。
嗅香爐といふハ青磁口寄の事也。

香炉は良い物でないと床には置かれなかった。…じゃぁそういうのはどこに置いたかのだろうか?
利休の頃は炉の灰形も無かったのが、この時期には香炉にも灰形が必要と考えられていた事が判る。もっともその灰形は適当な掻き上げの様だが。

普齋の朱書:

嗅香爐床ニ飾事古ノ使其時サヘ利休居士好不申候由ニ候思ヒ入有之事ナリ
「茶湯ノ席ニ不好仔細有之事也」

嗅香爐床ニ荘ル事名物トテモサノミ不好或ハ暑氣甚敷ヲリカラ又ハ月雪ニ興シテ首尾ニヨリ勝手ヨリ持來タ一薫ハサモアルヘシ
古ハ必茶湯ノ席ニ必香キク事ハヤリ申候
利休曰茶湯カワキニナルトテ好申サレス候
拝領ナトノ香爐ノ事時ノ首尾ニヨリ床ニモ盆ニモノセ荘ル事有ヘシ
如此申事同意ナレ共斷ヲノヘ申候

香炉を置く事は昔流行していたが利休は「茶湯カワキニナル」嫌っていた、とここには書いてある。

茶湯が脇になる、だろうか?だとしたら判らないでもない。香の嗜好品としてのポテンシャルは大きいからね。

しかし、同じ宗旦四天王の一人である藤村庸軒の語る利休は、「香炉大好き人間」としか思えない。

香炉を使う茶事が過去のものになっていたのだけは共通しているのだが…。