普齋書入便蒙鈔6 第九窓之事

茶道便蒙鈔の記述:

一 朝會にハ座中あかりを好むゆへに。皆々戸をはづし簾を懸へし。
能あかりの來る窓ひとつハ。簾もはつすへし。
又晝の會にハ。あかりつよき方の窓に必簾懸かそれにてもあかりつよくは戸を立へし。
夜咄の時ハ窓四ツあらハ二つ必戸を立へし。
戸いつれも客前に水にてしめしてよし

窓を工夫し、朝会は明るく。昼は暗くする。

夜咄に戸を立てる理由は判らない。これは暖房効果を考えてだろうか?

普齋の朱書:

茶湯ハ朝ヨリ晝ニイタルマテコゝロヲツケテイキヨクシルガ茶仁ノ上手ナルヘシ
晝トテモ嵐ノハケシキ折節ナトハ窓毎ニカケ戸シテ窓一ツ二ツ障子ノアカリヲ頼ミタルモホノアカアリニテ小座敷ノウチシツカニメ何トヤランサヒシキケシキ言葉ニハ宜カタシ
上手ノナスコトハ皆オカシキサマアリ

茶の湯はいつだって心配りして意気?よくするのが茶人の上手。
嵐の激しい日の昼会だって窓に戸をした上で、ほのあかりの小座敷の中は静かにしてなんだか寂しい景色と言葉にはならない(雰囲気作り)
名人のやることって面白いね

ぐらいの意味か?
嵐の激しい日にお茶やんなよ、という気がするし、宗偏の一般論に対し極論を持ち出している気もするけど。

シユラク法印ノ紹鴎傳受ノ巻利休亦一閑居士相傳一巻ニモ此等ノヲモムキヨクシルシ有之萬事通シ申候コトナリ
皆上手ノモテナヤムトコロ
ソコラニ至ル茶仁稀ニモナシツタナシナケカシ
寒暑ノ時節心ニイルヘシ

この趣はいくつかの伝書にも書かれていること。全部その通り。
上手な取扱いに困るところだがそこに至る茶人が稀にもないのは拙いし嘆かわしい。
寒暑の時期は特に注意すること

ぐらいか。

「シユラク法印」が誰なのか判らないが、紹鴎の弟子だろう。
その伝書と利休宛の紹鴎の相伝書が千家にはあった事が伺われる。
現代に伝わっているものだろうか?