普齋書入便蒙鈔9 置合の事
置き合わせの章にあるが、置き合わせの後の座入りの話。
茶道便蒙鈔の記述:
座敷掃除して。道具置合も相濟みて。客座入の案内にくゞりの戸三つぶせほとあけ懸る也。
客是を見て手水つかひ入事也。
又此時くゞりの戸あけず鉦打事あり。
是ハ古織より初る也。
古織伏見に居住之時。
數寄屋より腰掛まで程遠きゆえ座敷の仕廻客へしれざるに付て。
案内の為に鉦をうたれ候と也。
其以後座敷檐下の腰掛にても。人毎に鉦を打事不心得
座敷を掃除し道具置き合わせが済んだら、座入りの合図に躙口の戸をちょこっと開ける。
客はこれを見て手水を使い、席へ入る。
この合図の代わりに銅鑼を使うことがある。
これは織部の作意。
織部が伏見の屋敷に居る時、茶室から腰掛けまでが遠いのでこういう合図が客に見えなかった。その代わりに銅鑼を打ったという事だ。
それ以降は腰掛けが躙口の近くに有っても、皆が皆銅鑼を打つ様になったが、おかしーだろ!
普齋の朱書:
クゝリノ戸アケカケテヲクヲミテ尤客小サシキエ入モノナリ
又亭主クゞリノ戸ヲシメテオキタル時ハ自身カ又カヨイノモノカ其人々ヨリ客ニヨリ内案ヲ申候
勝手次第ニ等入候ヘト申ヘシ
鉦ノ事其通ニ候
トカク鉦ハウチ申サス候
鉦ノ事不好是等皆アヤツリカマシキ事ナリ
躙口の戸を開けかけて奥を見てから上客は小座敷へ入るものだ。
又亭主躙口の戸を閉めておいた時は自分か半東とかを迎えに出し「どうぞ御自由にお入り下さい」とか言う。
銅鑼の事はその通り。銅鑼はやたらに鳴らすものではない。
銅鑼使うのはリモコンめいていて好きじゃないね。
銅鑼は織部が始めたもので、今では猫も杓子も銅鑼を打つ様になった。
しかし宗偏も普齋も、銅鑼が嫌いだった事も判る。
建前としては銅鑼は老人の物。でも少しでも道具を多く使いたいこの頃の茶人の間では流行してしまった。
明治の頃にはまだこの建前があったが、現代ではこの建前も無くなってしまったのではなかろうか?