普齋書入便蒙鈔8 十四 膳出す事

茶道便蒙鈔の記述:

一 客の勝劣によらず亭主膳を持。
(後略)

客のレベルに関係なく亭主が膳を持って出ろ。
この後の文は膳や椀の出す順序の話。

でもこの一文に対する普齋の朱書が超!長いのよ。

此ヶ條殘ルトコロナク候
茶湯ノ本意ハ亭主ノハタラキノモノ也
同輩ナラハカヨヒノ者イタスヤウニカナラスシモ有ヘカラス
若キウチナドハ自身ノハタラキシカルヘシ

この条に足りない部分はありません。
茶の湯の本意は亭主自身がやることによるものです。
同輩になら半東出すとは限りません。
若いうちは自分でやんなさい。

貴人高位ノ人達ハサヤウニモナラヌコトテ
予ナトハ茶湯ニ身ヲナス人ナト申入ル事ノ有時ハイチホクモツカヒ申サヌイカニモ侘シキ人ヲ呼時モ人ニ申付給仕ナトサセタル事ナシ

貴人高位の人はそうもできないでしょうが私なんかは相手が金持でも貧乏でも他人に給仕なんてさせたことありません。

今ノ世人ノ茶湯ニ呼申サレサモナキモノノ少富貴ノ幸アレハトテウチナクル テイタラクウルサク思フ事ノミ侍ル
茶湯ハ面白キ所ニ辱事アリテコソカノ極樂トヤランノマナフナルヘシ
貴モ行イヤシキモ往キワツカ一疊半二疊敷ノウチエモ貴人トモ膝ヲナレヘ心ヲ易クス
貴賤一枚之安座茶ヲ煎點スル人心ニ隔テ有ハムサシ

人の茶の湯に呼ばれた時、毎度ではないけど「も少しお金が有ればね」みたいな事を言われるとうざいし。
茶の湯は面白い所に恥ずかしい部分があってこそ、楽しいんじゃねーの。
尊い人も卑しい人も同じ畳で膝を並べてうちとけるのがいいんじゃねーか。
そこに差別の心を持ち込むのはむさくるしい。

老人又病者テイノヤカラハ上下ヲワカタス腰ヌケワサモユルシ有ヘシ
辱ト幾度モ禮儀懃ハ何事ニアルヘシヤ
人ノ思ひ入ヲカンスル事ナルヘシ
貴人モ此席ニテハ了簡有ヘキ事也

老人や病人みたいな奴なら上下で差別する様な腰抜け技もしかたない。
恥を幾度もかいたからってどうだっていうんだ。
人の気持ちの問題なんだよ。
貴人もこういう場ではそーゆーもんだと思っておいて欲しい。

カク云テハトテ陪膳ノ者イタサヌニハアラス
同輩ナラハカヨヒノモノ必申付ル首尾イカ
ワレヲヒケシテコソヨケレトカク申サレタル人モ今ハ世ニナシ

だからといって給仕の人付けないってわけでもない。
同輩だったらといって通いの人を必ず付けてどうなるのでしょう。
自分を卑下してこそ良くなると言っていた人も今は世にいない。


…長い。でもえらく思いの籠った文章。
「この世に居ない人」は宗旦だろうか?それとも別の人なのか一般論なのか?

しかし普齋はこの思い入れ激しい文、朱書きしてどうするつもりだったのだろう?
他人に見せる事前提にしなきゃここまで長い文書かないよねぇ?