普齋書入便蒙鈔18 第二 茶を立る事

茶道便蒙鈔の記述:

一 柄杓釜の上に置樣三色有
前のことく釜の向の縁にかけ置持ちたる手のゆびをゆるめ直に中指に乗たる柄を柄さきまて手を引それを直に釜の縁に置さまに手を放チ茶筅を取也
又一應ハ柄酌をあらひ持出たるゆへに柄にしめりけ有により中ゆびにてひかれず此故に拇とひとさしゆびの間にて引時ハひかるゝ也柄先まて引前のことく手を取也
又一色ハゆひの間にてもひかれざる時ハ持たる所にて柄を中ゆひにのせ置拇を外の方へはづし柄の上にあげ置食指を柄の外脇の方へ添よせてそれを直に縁に置く手を取なり

柄杓を風炉釜の上に置く方法は三種類ある。
前に書いたように(柄杓の合を)釜の向うの縁に掛けた後、柄を中指に乗せ、柄の先までそのまま指を滑らせ、釜の縁に置いたらそのまま茶筅を取るように。
もう一つは柄杓が濡れているから中指で引けない時のやり方で、親指と人差指の間(の指の股)で引く方法だ。
もう一つは指の股でも引けない時で、中指の上人差指の先のとこに乗せて引かずに置く方法である。


普齋の朱書:

世中ニ左勝手ト申風爐ノ置ヤウノ時ハ柄杓ノ柄眞スクニヲクナリ
利少旦老イツレモ色々眞ヒシャク引ビシャク切ビシャクアツカイヤウ品御座候
書ツクシカタシシレル人稀ニモナシ

世間で左勝手と言われている風炉の置き方をしている時は柄杓の柄は真直に引く
利休、少庵、宗旦三人とも色々真柄杓、引柄杓、切柄杓の扱いが違っていた。
書きつくせないし知っている人もほとんど居ない。


まず、我々が引き柄杓だなんだと言っているものが、当時は真柄杓、引柄杓、切柄杓の三種類だったらしい事が判る。

次に、そういう柄杓の種類も、コンディションによる引き方の変更であって、今みたいに水を汲むときはこうで、あるいは交互にするんだ、みたいな形骸的なルールではなかった事もわかる。
一番引きにくい中指で引く方法は、お茶を点てる直前なので柄が乾いているだろう、という前提があるからこそ、その手がそのまま茶筅に伸びるのだから。


しかしながら、普齋の言い方だと利休どころか宗旦の柄杓の引き方すら、失伝しかかっていた事も判る。つーか「書き尽くし難し」とか言ってないで書き尽くしといてくれよ!