茶人随想耕心庵
山崎圭雪/新読書社/1994年。
表千家の先生のエッセイ集。
こういうものはどうしても「面白くてたまらん」ものには成りがたいが、この本もそう。
だが「茶室造り奮戦記」は、ある意味一読の価値有り。
お茶とお花の先生が、老朽化した家を建て替える際に、
わずか十五坪の敷地に四階建のビル、その中に、三十年来の夢である茶室を造り、
というお話。つまり、それまでは専用茶室ではなく、和室を改造して便宜的に茶室扱いしていたということなのだろう。
数寄屋造りがある程度可能と思って選んだ住友林業であったが、予算の中では数寄屋大工さんは希めぬので、どんな大工さんがくるのであろうか、心配であった。
ビルは住友林業が造り、茶室の内装を住友林業の紹介した大工が造る。
施工主と大工の関係が本書の面白さである。
この中柱から、大工さんとのぶつかりあいがはじまった。
(中略)
現場監督、工事担当主任、と四時間話し合って、中柱を定位置に定めてから、と「無目板」の位置をしつこく言って帰った。
翌日、「どうだ!」と得意気な顔で迎えられた。
正面からみると、まことにいい。ところが客座にきて、どきっとした。
どうもゆがみの位置に壁どめがきているようだ。
(中略)
「だめっ!とはなんだ、魂入れて半日かかって位置をきめたんだ!」とくる。
ゆがみの上に壁どめがこないと美しくないでしょ!と懸命に説明、
(中略)
「四時間かかったよ」中柱にまいてあった紙をはずして、自身に満ちた顔で見せてくれる。
家の施工で、建築の素養のない施主が現場を訪れるのは手抜き工事防止だが、茶人の場合は施主が現場で大工を指導する為に訪れる。
この話では専業の数寄屋大工でないので苦労する部分があるのだが、おそらく数寄屋大工を使っても微妙な美意識の違いはあるから、たいして変わらない状況になりそうだ。
数寄屋大工の方が経験があって予防線が張りやすい、というだけだろう。
「平天井と落天井の差が三センチでは落天井にならない、亭主の謙虚な気持が、そこに出るのだから」と説明して、なんとかならぬか、とくい下がっても、吹き出し口すれすれに壁を塗っても七センチの差しか出ない、という。
現場監督、主任、私と考えあぐねているうちに、大工さんが怒り出した。
「みんな、もう出ていってくれ!仕事の邪魔だっ邪魔だっ!俺あ、大学も出てねぇよ。学もねぇよ、だけど腕は超一流なんだっ、ああでもねぇ、こうでもねぇ、とこんだけの凝ったもんを作るんだったら、一週間に一けいぐらいは、設計士がくるもんだっ!ぜんぜん顔出さねぇでよ、図面もちがっていてよ。けえってくれよ!」
大工さんの怒りもごもっともである。
おそらくこれは、室町時代から大工が茶人に思っている怒りであろう。
設計士の問題でもない。施主が「茶室を作らせている」でも「茶室を作ってもらってる」でもなく「自分で茶室を作っている」ことが問題。
施主の美意識が設計士とのコミュニケーションで表現しきれず、結果設計図面に反映しきれず、最終的に施主が大工を自分の大工道具として茶室をアドリブで作らざるを得ないところに問題があるのだから。
茶室作りでは材木のプレカットとかできそうもないね、こりゃ。
おびただしき工事の遅延と、連日の大工さんとのこぜりあいに疲れ果てた私は、不手際を詫びにきた現場監督、営業担当と、その上司の顔を見た瞬間、怒りが爆発、かなり感情的になった。
「もう明日からは現場に行きませんから、早く作って下さい!そのかわり出来たのが気に入らなかったら、トンカチで叩きこわして物置きにでもしますからっ!」
(中略)
翌々日、やっぱり気になる。
わかってるのに駄目駄目じゃん。
ま、気持ちはわからんでもないけどね…。