茶商の読んだ茶経評釋5 製茶法
ここで注意をしたいのは
「其日、雨天では絶対採らない。例え雨がなくても曇天には採らない。摘採は晴天だけである」
と断言している所であります。
これは現代の製茶法でも、雨茶は摘まないという不文律となって受け継がれております。
そう、こういう過去と現代との比較こそが茶業の人の書いた本としてうれしいわけで。
だからって:
お茶を蒸す時の水について、陸羽の厳しい鑑定はさておきまして、
本題をさておいちゃいけませんって。
現代のお茶造り達が、本物志向の市場要求の中にあって顧みるところの多いのは誠に残念であります。
ここで語ることを、ためらう法が問題なのかもしれませんが、何よりも、平成三年七月一日より実施される販売茶の表示基準に対する信頼性を確保出来るか否か、重要な問題となります。
平成3年の、というのはおそらくこれは現在も行われている例の産地表示50%の話だと思うんですが。
私、最初「業界内の人が、業界の表示ルールが緩くなる事を批判していた」という文脈で読んでいて、おお、内部告発/問題意識/品質意識…素晴らしい!とか思いました。
…でも、それだと「表示基準に対する信頼性を確保」の意味が通らない。
実は調べてみても、平成2年以前のそれが現在よりどうだったかがわからないんですよ。
もしかすると「より厳しいルールになるが、皆ちゃんと守れるかわからないから偽装しまくりで困ったことになるんじゃないかと心配している」という風にも読めるので、「どっちなんだよ〜」って感じです。
…いや、後者なんでしょうね、きっと。