利休道歌に学ぶ3 薄茶と濃茶

薄茶と濃茶の点て方について。

点前こそ薄茶にあれと聞くものを麁相になせし人はあやまり

(略)
どんな難しい濃茶の点前でお茶をいただいても、最後は薄茶点前になります。
これでお別れをするわけです。
薄茶というものは最後の締めくくりです。
ですから薄茶を麁相にした場合には、濃茶をいくら丁寧に差し上げてもこれで減点になるわけです。
結局薄茶でお別れをするわけですから、本当にこれが大事だということです。
(略)

異議あり

濃茶には点前をすてて一筋に服の加減と息をちらすな

もう濃茶のときは点前を捨てるような気持ちで、いかにお客様においしく濃茶を召し上がっていただけるか、服加減に専心しなさいという教えです。
いわゆる点前を捨てるというのは、ここでわかるように、まず炭手前は手を使います。
ですから、技術が要るわけです。
ところが、お茶は点前で、茶を点てます。
心で点てるということですから、炭手前とはその違いがあるわけです。
(略)

異議あり

濃茶には湯加減あつく服はなほ淡なきやうにかたまりもなく

この淡は反古襖に書いてあるのでこの字を使いましたが、本来はブクブクする泡です。
(略)
五月になりますと風炉になります。
そうすると、去年のお茶を飲む。
五月には摘んでから一年たったお茶を飲むということになるわけです。
ですから、色香が失せているから、お湯の温度を提げて差し上げなさいというのが一般的なルールです。
そんなふうにして、湯加減をちゃんと見極めて、そして泡もないように、かたまりもないように濃茶をさしあげます。
(略)

異議あり

とにかくに服の加減を覚うるは濃茶たびたび点てて能くしれ

これはいままで申し上げたとおりです。
服加減を覚えるのは経験からしかないわけです。
(略)

これだけは異議ありません。


前二者は、技術の問題なのを心の問題にしようとしすぎです。
その結果、なんだかよくわからない文章になってしまっています。

三番目のは「湯を熱くしろ」と百首が言っているのに、「風炉では水を差しなさい」
と言ってしまってます。勝手に現行の裏千家濃茶風炉点前への迎合させて解釈するなら、利休百首を解説する意味が有りません。

  1. 薄茶は各服で冷めにくいから丁寧なお点前でやりなさい。
  2. 濃茶は冷めちゃいけないので雑でもいいから手早くやりなさい。
  3. 濃茶は冷めてても泡立っててもダマがあっても駄目です。
  4. 濃茶はいっぱい練習しなさい。

ほら、簡単でわかりやすいでしょ?