利休道歌に学ぶ6 炭

炭関係9首。

ややこしいのでこっちでインデックスを付けるよ。

A1) 炭置くはたとへ習いひにそむくとも湯のよくたぎる炭は炭なり
B1) 客になり炭つぐならばそのたびに薫物などはくべぬことなり
C) 炭つがば五徳はさむな十文字縁をきらすな釣合をみよ
D1) 焚き残る白炭あらば捨ておきてまた余の炭を置くものぞかし
A2) 炭おくも習ひばかりにかかはりて湯のたぎらざる炭は消え炭
D2) 崩れたるその白炭をとりあげて又焚きそへることはなきなり
E1) 風炉の炭見ることはなし見ぬとても見ぬこそ猶も見る心なれ
B2) 客になり底取るならばいつにても囲炉裡の角を崩し尽くすな
E2) 客になり風炉のそのうち見る時に灰崩れなん気づかいをせよ

利休百首は、同じ内容の別の文面が繰り返されることがあって、「おんなじ内容じゃん。削ったら百じゃなくなるじゃん」って感じなんですが、ここまで順番入れ込んでいるとわけわかんないですね。


Aは「湯が沸く炭がいい炭」シリーズ。
Bは「炭所望」シリーズ
Cは「炭の置き方の禁忌」
Dは「白炭」の扱い。
Eは「風炉の炭の拝見」シリーズ

Aに関して

炭置くはたとへ習いひにそむくとも湯のよくたぎる炭は炭なり

結局、炭手前というのは何のためにあるかということです。
湯をわかすために炭手前はあるわけですから、湯がたぎらないような炭はいけないということ、当り前のことです。
その当り前のことがなかなか難しいのです。
炭にもそれぞれ寸法などいろいろありますが、とにかく炭によってお湯をわかさないとお客さまにお茶が上げられないわけです。
(略)

炭おくも習ひばかりにかかはりて湯のたぎらざる炭は消え炭

(略)
ルールにとらわれず、火のおきるようにきちっとつぎなさいということです。

同じ内容の句なのに、片一方では「当り前」もう一方では「ルールに囚われず」なので、矛盾してます。


Dについて:

解説ではこの白炭は「枝炭」のこととしてますが、私には確信が得られません。
理由は以下の二つです。

  1. 白炭は単なる炭の燃えカスの事かも知れない。
  2. 枝炭を白化粧していない、黒い枝炭を使う流派もある。

これらはもう少し勉強したいと思います。

あとは別に〜って感じー。