利休道歌に学ぶ38 陰陽
茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち青竹枯木あかつきの霜
この歌は口切の茶事の情景を通して、茶の湯には、陰と陽との調和をうたっていると思います。
(略)
まず道歌の「梅寒菊に」ですが、口切の茶事が行われるのが十一月という寒い「陰」の時候にもかかわらず、梅や寒菊が寒さにも臆せず「陽」の花を咲かせているという陰陽の調和をあらわしています。
続いて「黄葉み落ち」ですが、これは公孫樹の葉が黄ばんで落ちると言う「陰」の情景をあらわしています。しかしその美しく色づいた葉が舞い散る様子は美的観念では「陽」といえます。
(略)
「寒いから陰」「花は陽」「舞い落ちるは陰」「美しいから陽」というのはあまりにも独自な陰陽論ではあるまいか?
主観で陰陽が変わっては、その茶の湯がトータル陰なのか陽なのか客によって判断が変わってしまうじゃないの。
あと
- この論法だと「口切はめでたいから陽である」が抜けている。
- 梅は十一月の花か?
- 十一月は寒いかい?
- 十一月に霜って降りるかい?
- 口切の茶事は昼茶事だが暁や霜が関係あるかい?
と、ツッコミどころは多い。
単に、花と落葉、青竹と枯木、日光と霜、という対比が茶の湯には大事ですよ、とっているだけなんじゃーねーの?