利休百首談義8 薄板

百首扇
うす板は床の大小また花や花生によりかわるしなしな
(略)

本項の読みどころは、句の解釈ではない。
木地の薄板を使う事への批判にある。

ついでながら近頃良く見かける品に木地の蛤羽の薄板が有る。
木地は塗に仕上げる前の品の姿で、いわば未完成の物である。
客前に出すべき品では無論ないのである。
ある人はいう。薄板は畳を濡らさぬ為に敷くと言う。
一歩譲ってこうした意味があるとしても、何を苦しんで塗師屋の仕事場から未完成の板を持って来る必要があろうか。諸賢の一考を煩したい。

…でも木地の薄板にここまでの問題意識を持った事なかったな。

蛤端(本来、日本刀の砥ぎ方から来ているのであろうから蛤刃が正しいと思う)の板は、木地師がそう整形するわけだから、そのまま流通に乗る筈がない。
少なくとも塗師が拭漆なり呂色なりに仕上げる筈。

しかも吸水素材を濡らして使うんだから、劣化も激しいわけで…たしかに不自然な使い方としかいいようがない。

もしかすると木地の蛤板ってすごく最近の流行なのかもね。