利休百首談義9 釣舟は

百首扇
釣舟はくさりの長さ床により出船入船うき船としれ
(略)

解 釣舟の飾り方の教歌であることはご覧の通りであるが、出船、入船のことは千家流にない事なのである。
又茶道の根本から言っても無いのが当然と思う。
おそらく諸流にも少ない事であろうが、案外世間では、利休百首に有るからとの理由で信じておられる方が多いかも知れない。
(略)
この出船、入船、うき船の伝は相阿弥に始まると言われている。
(略)
ところが利休に至って、草庵形式の創立と共にこの伝を廃したのである。
(略)

著者は「利休百首」を室町からある程度内容の受け継がれたものとして考えているっぽい。

なので、書院趣味を利休以前の茶として了解している。

むしろ元禄ごろの大名茶として復活した書院の茶の方を考えてみるべきだと思うんだけどね。

参考までに古書より抜書してみると『石州三百箇条』には次の如く記してある。

昔は出船、入船の説が有ったが宗易(利休)から是を用いぬ事にした。
朝晩共に花が客に向かう様に扱った。
宗屋(古田織部)は無論この訓えに従った。
砂張の船の鎖が船首に一本、艫に二本あるからこそ出船、入船の差別が出来るのである。
この鎖の付け方がうるさいと言って前後共に一本に改めたと言う。
砂張の船で前後共に一本鎖は織部の船と言い伝えるのはこの理由である。
(略)

いかにも利休らしい、織部らしいエピソードではないか。

だが、これが本当なら鎖用の穴が無駄に二個余分にあいた織部の釣舟がどっかにないといかんのだが、どっかにあるのだろうか?