利休百首談義10 善悪有無

百首扇
一手前たつるうちには善悪と有無の心のわかちをも知る
宗鳳本
一手前たつるうちにも善悪のわかちを知れよ有無の心を

解 この歌も後世改悪の見本である。
一点前をする間に善悪の心や有無の心を知る事が出来る筈もなく、それを知って何の益が有るであろう。

うわ、ばっさり。

この点宗鳳本は意味深長である。
有心、無心の心の状態が全体に善し悪しの結果をもたらすのである。
(略)
一箇所に心を留めれば必ず全体の調子が崩れるのである。
(略)
「茶の手前の事は拍子もなく、品もなく目に立たず、只何となく堅からく、ぬるからず」と川上不白翁も訓えている。
これが無心である。
(略)

「ぜんあく」じゃなくて「よしあし」なのね。

確かにうまい人のお点前は目にひっかかることもなくいつの間にか終わっているものだし、それを無心と有心の差と言い替えることもできそう。

そういう意味ではこちらの解釈の方が実用的ではある。