茶の世界史2 茶の文化に驚いたヨーロッパ人

日本の茶の湯文化の伝播について。

オランダの探検家で地理学者であったリンスホーテンは一五九六年、『東方案内記』を書いている。
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このチャと称する薬草の、ある種の粉で調味した熱湯、これは非常に尊ばれ、財力があり、地位のあるものはみな、この茶をある秘密の場所にしまっておいて、主人自らこれを調整し、友人や客人を大いに手厚くもてなそうというときは、まずこの熱湯を喫することをすすめるほど珍重されている。
かれらはまた、その湯を煮立てたり、その薬草を貯えるのに用いる壷を、それを飲むための土製の碗とともに、われわれがダイヤモンドやルビーその他の宝石を尊ぶように、たいそう珍重する」と。
リンスホーテンの茶に関する記述は、二本についてだけであって、中国の茶については何ものべていない。
だから彼は日本人の茶の湯がよほど珍しかったにちがいない。

これだけだと「中国ではなく日本の茶文化が欧州に伝播し流行した」という根拠にするのは無理が有ると思う。

一七〇一年、アムステルダムで上映された劇に、「ティにいかれた御婦人たち」というタイトルのついた喜劇がある。
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すなわち、ティに招かれたお客が午後二時か三時にやってくると、女主人は丁重な挨拶でうやうやしくお客を迎える。
挨拶がすむと、お客は足ストーブの上に足をのせて坐る(冬でも夏でも足ストーブを使っていた)。
一方、女主人は磁器製や銀細工を施した小さな茶器から、いろんな種類の茶をとり出して、銀の茶こしのついた小さな磁器製のティ・ポットに入れるが、彼女はお客に向かっていちいち「どんなお茶にいたしましょうか」と重々しくたずねる儀礼を行う。しかし茶の選択はふつう女主人にまかせられる。そこで小さな碗に茶が入れられる。
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ところで傑作なのはその茶の飲み方である。
御婦人たちは茶を茶碗で飲んだのではなく、わざわざ茶をいったん茶碗からうけ皿に映して、そのお皿の茶を音をたててすすったのである。
(略)
しかし私たち日本人はハタと思い当たるであろう。
このオランダの貴婦人たちの茶会は、まさに日本の「茶席」、つまり茶道の真似事ではないかと。

紅茶をティーソーサ−に移す方法は、熱い茶を冷ますため、というのは聞いたことはあるが、茶の湯の影響説ははじめてだ。

こういう事を立証したければ、茶の湯文化の伝搬経路と、物証がないといけない気がする。

確かにこの貴婦人達のしぐさは茶の湯っぽくはあるのだが…。
女主人がテーパーティ中に陪席・相伴したかどうか気になるね。