江岑宗佐茶書

主婦の友社/1998年。

江岑宗佐の残した茶書を集めた本。

冒頭は「逢源斎書」。
江岑夏書の異本みたいなもので、本書では。江岑夏書と上下段比較で掲載されている。

ほぼ同じなんだけど、「逢源斎書」にしかない内容もある。

一、古肥前之守殿ニ利休姥口之あられ釜御座候
世上ニなための釜と申候、
少ヨリ肥前殿へ参候
古之なため風炉ニ而柄杓置申候、
跡ニ而御さ候
惣而あられ釜ニは柄杓置にくき物なり。
是故右之通ニ候、
風炉ニ而柄杓すちかへ置候事、
是せうこ也、

前田利常の所に利休姥口の霰釜があった。
「なための釜」として知られていた。
少庵から利常の所に行った釜である。
むかしから「なため」は風炉に柄杓を置くものである。
(一行不明)
だいたい霰釜には柄杓が置きにくい物である。
なのでそういう風にしたのだ。
風炉に柄杓筋替置くのはこれが証拠である。

かな?

「なため」だと意味がわからない。
もしかすると「ななめ」かも。
そうであれば、「柄杓は釜に掛けずに風炉の方に立てかける」という意味ではないだろうか。

で、宗旦が加賀へ行った際、利常に茶に誘われる。

是前ニ土風炉ニ右之あられ釜掛申候、
只両人ニ而身もひや/\と致候由、旦御申候、
(略)
風炉之火御なをし候時、旦覚申候由被申候、
其時分織部はいこう之時に而かの釜織部そこニ被成候、
旦そこかワり申由被申候、
肥前殿御申候ハそこしかへ候由被申候、
旦初そこかましニ而御座候由被申候、
肥前殿何ともへんとう御座なく候

そこではあの霰釜が土風炉に掛けられていた。
相客と宗旦はひやひやした、と宗旦は言っていた。

利常が風炉の火を直す時、宗旦は「それって織部が(不明)の時にありましたね。私がそこ代わりますよ」と申し上げた。

たぶん、土風炉に「なための釜」ではうまく柄杓が置けないから、代理をしようとしたのだろう。


ここから後が解釈しづらいのだが、

利常は「代わらん」宗旦は「そこがマシだと思います」んで利常は返事しませんでした、ということかな?

翻刻が信頼できるか自体わからんので、意味が通らなくても仕方ないか…。