江岑宗佐茶書3 逢源斎書 茶桶箱

逢源斎書に見る茶桶箱の話。

一、さんふた茶桶箱、木地やろうふた(薬籠蓋)茶桶箱之事、
右二色ともニ茶桶棗之惣家也、
就夫常に茶をはき候て茶桶箱へ入ル、
其故夜咄なと茶を両種挽候へて、茶桶箱へ入れたうこ(道庫)の内なとニ入候、
但棚ニ置候事はなく候、
但世上入候時、茶桶箱之茶之湯とて棚なとニも置候、
右之通茶桶棗惣家ニ候故、余客前へ出候事ニ而ハ無之候

桟蓋茶桶箱、木地薬籠蓋茶桶箱は、茶桶棗の外箱である。
常に茶をはいて入れておくものである。
だから夜咄等には茶を二種挽いて、茶桶箱に入れて道庫に置いておく。ただ、棚に置く事はない。
この箱が世間に広まった頃は、茶桶箱の茶の湯といって棚等にも置いた。
茶桶棗の外箱にしか過ぎないので、あまり客前へ出すものではない。

かな。

「それにつき常に茶をはき候て茶桶箱へ入ル」の解釈が「常に茶をはいておいて茶桶箱に入れておく」のか「茶をはいてから茶桶箱に入れるのが普通である」どっちだろう?
前者なら茶掃箱相当の水屋道具だし、後者なら通釈どおり「通いの道具」の気がする。


「茶桶箱の茶の湯」は出現当時には棚に置くものだったが、あまり客前に出すようなものではない、というのが江岑の意見。

伝物にするようなものとして語ってない気がするし、もっと便宜的な茶の湯だったのではないだろうか?