江岑宗佐茶書8 江岑咄之覚 紹鴎と利休

一、易、千ノ与四郎ノ時、紹鴎へ数度被参候へ共、終ニ紹鴎なすび、与四郎ニ見せ不被申候、
或年歳暮之礼ニ大晦日之晩ニ参候へハ、紹鴎ハ路次の木の枝をうたせ候て被居候、
与四郎礼ニ被参候由申し候へハ、小座敷へはいられ候へと被申候、
利、座敷へ入候へハ、印籠之ちいさきニ上ニ盃ニ中わんをおき候て出候、
右之印籠之内ニ上ニさかな、下之重ニハ花平二枚やき、うらしろしき出申候、酒出候、
扨なすひニ茶を入、茶之湯ニ而候、
紹鴎、与四郎ニ被申候ハ、なすひ貴殿へ見せ申候、終ニ折かなく候て見せ不申候と被申候、
深キ心持ニ候

宗易が若い時、紹鴎の茶会へ数回行ったが、紹鴎茄子を見せてもらえなかった。
ある大晦日の晩に歳暮の礼に行ったら、紹鴎は庭の木を手入れさせていた。
宗易が礼を言った所、茶室に入れと言われた。
宗易が座敷に入ると、小さい重箱の上に盃と汁碗が置いてあった。
重箱の上の段には肴、下の段には焼物が裏白敷いて入っていた。酒も出た。
紹鴎茄子の茶を使って茶の湯が行われた。
紹鴎は宗易に言うには、なすびを見せれた。なかなかタイミングが無くて見せられなかったんだよーとおっしゃった。
深い心掛けじゃないか。

…ぐらいか。

ここで疑問点。

  1. 「宗易は数回紹鴎の茶会に行ったが」程度の関係。江岑は宗易は紹鴎の弟子と思っていたのだろうか?
  2. 晦日の晩に歳暮の礼に行っているが、紹鴎に歳暮をもらう様な何があったのだろう?大晦日だとむしろツケの回収みたいだが。
  3. 晦日の晩に庭木の手入れをする様な事があるだろうか?
  4. どの辺に「深キ心持」があったのだろうか?

よくわからないことだらけである。