茶杓の拝見
私は、お点前の最後に茶杓の銘を聞かないと、とても落ち着かない。
お稽古でも時間が無いときとか略するが、なんかがっかりする。
画龍点睛を欠く、とはこういう事なのだろう。
では、茶杓に銘を付ける、という習慣は一般にいつから行われる様になったのだろう。
茶杓の銘として有名なのは利休の「泪」だと思うが、こういう銘のある茶杓の存在=茶杓に銘をつける習慣が一般的になった、とはいえない。
昨日の江岑の茶会記から、銘付き茶杓を家元が売るようになったのは1660年代だとまずは考えている。
でも、これもイコール茶杓には銘が付くもの、という習慣に即結び付いたとはいえまい。
茶会でほぼ必ず茶杓に銘が付けられる。そういう状況がなければ茶杓の拝見の際に銘を聞く習慣があった、とは言えないと思う。
茶道便蒙鈔には拝見の際に茶杓を乞うという客作法があるが、茶杓に銘がついていたかは判らない。例えば作者だけが問題だった、と言う可能性も有る。
同時期の南坊録も茶杓の命銘に関する記載がないので、元禄時代にもまだ無かったのではなかろうか?
茶会記をひもとく。
松屋会記等では特にそういう習慣は読み取れない。
昨日の江岑の茶会記も、もっと後の時代の不白の茶会記も同様。
室町時代から江戸中期の茶の湯では、茶杓の銘という習慣は無かったと思われる。
でも幕末の一期一会集には
「御茶杓・御時服(仕服)とも拝見」と乞い、
(中略)
結構成る御道具に候。伝来、銘、箱書付等」尋ね、茶杓之作、袋の地合、誰好みという事まで尋ね、感じ褒むべし
とあるから、幕末にはあった可能性が高い。
実際に一般に茶杓に銘がつけられたのは江戸時代中期〜幕末の間だと思う。
もうちょい追跡調査が必要か。