茶会記における茶杓の扱い
江戸初期より前の茶会記には、わりと茶杓の記載が無い事が多い。
茶杓に銘を付ける習慣が無かった(と私が考える)頃ならば銘は当然なく、また、「○○作」と書いてない以上、わざわざ書くほどのことのない製作者の茶杓だったのだろうと私は考えている。
現代のように味もそっけもないお稽古用茶杓600円、とかが売っていたとも思えないので、亭主自作だったのだろう。
さて現在。
茶杓を自作して銘を付けて茶席に出す事は「よろしくないこと」とされていて、「家元かしかるべき坊主の作ったもの」「そうでなきゃ有名な茶人かなにか有名な人が削ったもの」でなければいけないように思われている。
家元と坊主と茶道具商とが商売にならないものを排除したかっただけじゃないかなー。
誰それの茶杓は作って良くて後世に伝えて良いが、お前は駄目だ、と誰かが言うのは別にその人の勝手だ。
でもその人が茶杓の販売の受益者だったら、非常に残念であり、非常に下品なことであると思う。