かながわ茶縁めぐり3 極楽寺の千服茶臼

極楽寺の千服茶臼
「鎌倉の極楽地に行くと、忍性の遺物として、千服茶臼と称する大形の茶臼がある。これは、忍性が施薬院で、保健の妙薬と称して、病弱の貧民に千服分の抹茶を碾き、施与したものだ。」
とあります(桑田忠親著『茶道の歴史』東京堂)。
(略)
いったい、忍性律師が使った茶は、いつ、どこで、どれだけ、だれによって極楽寺にお届けされたものでありましょうか。知りたいものです。
本堂の前の大形の臼で碾いたところをみますと、相当量の供給源をもっていたことになります。

極楽寺には千服碾きの大茶臼がある、が、著者の意識は「鎌倉時代に千服ものお茶を施せる流通ルートはあったのか?」に向いている様だ。

それはまったく正当な疑問だと思う。
鎌倉に茶があったのは判っているのに、大規模な茶園の存在があきらかではないからだ。

しかしながら:

追記─
『同門神奈川』六十四号(昭和五十六年四月一日発行)に発表したこの文章は、一部訂正を余儀なくなれました。
(略)
講演のあと、さらに三輪先生にお話をうかがいました。
すると、鎌倉極楽寺の千服茶臼は茶臼ではなくて穀臼であることを、この目でで確かめた
、と申されるのです。
驚きました。いつごろのことか、千服茶臼の臼を穀臼にとりかえてしまった人がいたのです。
もとは茶臼があったはずです。
菩薩行を営まれた忍性律師の行道をそこねてはなりません。
一刻も早く、穀臼を茶臼に戻していただくことを念願する次第です。

この茶臼、茶臼ではなく穀物用の臼の様式だとの指摘があると言う。

しかし昔の人が茶臼と穀臼を間違うものだろうか?
回転方向も違うやん。

これって案外最近の設置だったりしないだろうか?