尾張の茶道5 名古屋茶道史 斉朝の倹約令

文政十一年尾州斎朝が倹約令を発して風俗を改革せしめた中に、茶事に関する一条がある。即ち、

茶事之儀、近来各別致流行、小給之向、並若輩之者までも相嗜候趣に相聞候、右は銘々心得も可有之候得共、若輩壮年之輩は、文武修行之妨とも相成、且は費用之筋にも有之候付而は、此度格別に勤約被仰出候事候間、一統其心得有之、御役人向等は茶会等相催候儀遠慮いたし、常々相嗜候共、銘々倹約之心得可有之候

徳川斉朝尾張藩10代。絢爛豪華な宗春が7代だから、まだその影響をなんとかしなければならなかったということか。


祿が少ないものや若者までがやってるし、若輩壮年の文武修行の妨げにもなる、お金もかかるじゃないか、という文句がなかなか理詰で逆らいがたい。

一応この文面からだと高祿のもの、老人には社交として許していたということかな?
ちょっとヌルいが、禁止まではできなかったということだろうか。


なお文政11年だと斉朝は隠居して11代斉温に家督を譲っているので、政令を出したと言うのは解せない。本文に何か誤りがあるのではなかろうか?