尾張の茶道7 数寄者列伝
地方のローカル数寄者列伝、というのは貴重である。
であるが。
千家流名古屋導入第一号の伊藤道幽は、伊藤家第四代祐政で、始祖は蘭丸祐広といい、織田信長に仕えた武人。
本能寺の変で戦死した森蘭丸とともに、信長お小姓・三蘭丸のひとり。
いや、茶人としてのエピソードが欲しいんだが。ところがどんな人生を歩んで何を生業にしていたかの情報がほとんどだったり。
数少ない茶のエピソードが唯一入っているのが曲全斎の記事である。
某年某月、五尺に余る梅ケ枝を持参し茶を乞う意地悪門人両三人を招じ入れ、その梅ケ枝を水屋の大桶に入れ、先端わずかを席内にのぞかせて茶を点じた。
某年某月、自宅の近くから出火、自庵も危うしとみえた。
折から京の骨董商が来合わせたところ、よく来てくれた、珍器を持ってきたろう、見せたまえとて、松影という茶入を数百金を投じて即坐に入手した。
参考にはなりそうもないが、なかなかおもしろい。
ところで森川如春庵の記載がないのだけど…彼ってもしかして「尾張の茶人じゃない」扱い?