茶道筌蹄7 諸家茶匠

茶道筌蹄二「諸家茶匠」より。

藪内紹智
號剣仲絹熈堂 薮中斎 燕庵
始め尼崎に住ス
後京に来り公家薮中殿に身を寄せ後故ありて本願寺に仕ふ
寛永四丁卯五月七日卒ス年九十三

あれ?藪内紹智って、先祖の藪宗把が将軍の同朋じゃなかったっけ?尼崎ってどういうこと?

あと、薮中(室町家実藤)から偏諱を受けたってことなんじゃろうか?
京都の町中であんまり勝手できないだろうと思うので嘘臭い。

なお当時の表千家の認識は「本願寺に雇われてる」なんだね…

山上宗二
左海山ノ上人也
居士の門人ニテ太閤の茶堂也
一瓢庵筆記を撰す
太閤御前にて臺子手前被仰付シニ草の手前にて點茶イタシ候とて鼻を削られ放逐せられその後高山に隠る
落首に云く
眞ノ茶ヲ草ニタテタル咎メニテ花香ハナクテ落タル御茶の湯

山上宗二記」は読まれいたっぽい。どうしてそれであの記述?

あと、「一瓢庵筆記を撰す」ってのはなんだろう?
山上宗二記」の別名っぽいが、「撰す」ってのは著者扱いではなかったってことか?

更に、殺されなかった伝承は珍しい。落首も含めてそれっぽいのがまたどうよ?って感じ…