茶事談4 本朝茶祖珠光傳 台子

珠光をめぐる茶の広がり。

此時丹州ヨリ上林氏出テ五畿内ノ地ヲ撰ンデ茶ヲ植試ミルニ何処モ土地茶二不應茶ノ味ヒヨロシカラズ
城州久世郡ノ地茶ニ應シテ味ハヒ栂尾ニヲトラズ故ニ茶園ヲ宇治ノ邑ニ定ム

上林氏は近畿のいろんな所で茶を植えてテストしまくったとある。

まだ珠光一人が茶の湯を背負っている様な時代に豪気なことである。

又其頃京師紫野大徳寺ニ臺子アリ何ノ具トモ知ル人ナシ
コレハ往昔宋朝ヨリ日本筑前ノ博多聖福禅寺ニ贈リ来ル茶棚ナリ
此棚ノチニ大岳山ヘ傳ヘ年ヲ歴テ又京師大徳寺禅院ニ来ル
珠光コレヲ見テ是他具ニ非ズト云テ茶事ニ取リ用ヒタリ
珠光コレヲ茶會ノ本トシ丈方之室ニ飾テ敬禮ヲ備テ諸人ニ飲シム

台子の話である以上、聖福寺崇福寺の間違いであろう。

なんの道具か判らない棚をわざわざ日本に輸入し、更に京都まで送った南浦紹明はロックな漢である。
100年以上それを保管した禅寺の堅実とそれを茶具と看破した珠光の慧眼よ(棒)。


…残念ながら、椅子生活している宋の茶人が、どう台子で茶を点てていたのか。あと、何で畳の横幅と合致するサイズだったのか、その辺は明らかにならないようだ。