高谷宗範傳

渡邊虹衣編/松殿山荘茶道會/1935年。

割と四角四面な人柄で高橋箒庵と対立した茶人の追悼本。

緒言より:

人間養生の仙藥、延齢の妙術として藥用に起つた服茶が、足利時代に入つて儀禮の用となり、更に徳川期に入つては趣味的に堕し、今日に臻つて尚その陋習に囚はれて居るものが少なくない、
高谷宗範先生は斯界の現状に慊らず思ひ、更に禮の本道にこれを引き戻すと倶に、その世相に鑑み、この道によつて經國の一策を樹立高唱されたのである。

もうこの段階で四角四面である。

人間養生の仙藥、延齢の妙術として藥用に起つた服茶が、足利時代に入つて儀禮の用となり、更に徳川期に入つては趣味的に堕し、今日に臻つて尚その陋習に囚はれて居るものが少なくない、
この茶道經國論は、禮を經とし、武士道的日本の國民精神を緯として、堅く堅く織り固めたものであるが、世人中にはこの茶道經國の語を耳にしただけで、早計にもこれを以つて先生獨自の新創案と斷じ、眞の茶道とは懸隔の甚だしい僻説の如く思惟してゐる向きも少なくないやうであるが、これはその源を知らざる甚だしい謬見である。

これはおそらく、宗範と箒庵の論戦の事を言っているのだろう。

「高谷宗範高橋箒庵両先生茶道論戦公開状」として公開されている。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136337

これはまた別に扱いたい。