高谷宗範傳6 火を入れる

松方公が嘉納両家にたびたび訪問された時の逸話。

當時嘉納氏は煎茶にも多くの趣味を有つて居られた時代とて、煎抹の二席を設け、山中輿七氏を煎茶席係りとして道具の飾付けを行はせた、

茶道具屋に煎茶席の飾り付けを行わせたわけですな。

先生は例のキツチリとした性質とて招宴の前日嘉納邸へ赴き、飾付け萬端につけ遺漏のなきやう内見をされたが、圖らずも茲に一つの問題が惹き興された、

で、どういうわけか…というか性格上の問題で宗範は前日に見回りに行ったと。

それは床の間に飾られた青磁袴腰の香炉には灰がなく、又焜炉には火を用ゐぬといふ山中氏の話であつたので、先生は山中氏に向ひ、
「明日松方さんをお招きするのは、道具屋の貴方が招かれるのではないから、道具屋の店飾り式に香炉に灰を入れなかつたり、又焜炉に火を入れず、水屋の釜の湯を汲んで煎茶を淹れて差上げるなどといふ不禮な事は能きぬ、飾り付けた道具を使ひ、松方さんの目の前で茶を淹れなければならぬから、炭を盛る器には炭、火を入れるものには火を入れ、灰を容れて使ふものには灰を容れて飾らなければ不可ません」
と諄々として説き立てられるので、山中氏も大きに弱り
「そんな無茶をいはれて困る」
といふ、
「何が無茶です、貴方のやり方が無茶ではありませんか、世間に火を入れぬ焜炉といふがありますか」
といつた調子で頑として讓らず、條理并然として説得されるので、山中氏も終に我を折り、諸事先生の説通りに取り運ぶ事となり、その為め翌日の招宴も寔に愉快に、松方公に大滿足を輿へたといふ事である。

茶道具屋として、道具を壊したら価値が下がる…とでも考えたのか、煎茶道具に火を入れる予定はなく、点て(淹れ?)出しにするつもりだった。
それを頑固に反対し、ちゃんと茶道具を使わせた、という話である。

此松方公招待茶會が動機となつて後年の十八會が組織され、煎茶會に於ても千金の焜炉に火を入れて實際に使用するといふ、器物實用の風が再興するに至つたものだと云ひ傳へられてゐる。

少なくとも明治の初期の煎茶道では、道具は飾る物で使う物ではない…的な「常識」があった事を伺わせる。