高谷宗範傳8 武士道

宗範晩年の自論より。

明治維新の壮圖は京都が策源地なり、然れば昭和維新も亦京都を以て策源地と為すべきなり、
此故に余は京都府下に於て此地を卜し、此道場を開き、是に於て昭和維新の基礎を築き、天下公衆に向つて大に茶道の精神を發揮宣傳せんと欲す。
抑も明治維新は武士道に因て成功せり、然れば昭和維新は亦茶道に因て成功せざるべからず、
夫れ我茶道は、武士道と同一の精神なる事は前己に之を説明せり、
然れば即ち此道場に來たり會する者は、皆我茶道に因て立つ武士道的精神を鍛錬し、進んで國民の精神を振作し、思想を善導し大に我精神文化を發揮、以て國運の隆盛を謀らざるべからず。

もてなし、とか癒し、とか、そういうものよりも厳しい修道であるという印象を受ける。

明治維新は武士道の勝利だったのだろうか?むしろ武士道の敗北だったと思うのだが、50年ばかり経つと当事者にしてコレである。

勝った側が高らかに武士道の勝利を宣言する場合、負けた幕府側の武士道はニセモノあるいは三流品という事になりはしまいか?

…水戸出身の箒庵と、徹底的に反りが合わなさそうである。