高谷宗範傳9 財団法人松殿山荘茶道會

宗範は、自分の茶道道場を設立すべく、宇治木幡に十万坪の土地を購入した。

先生は斯うして、多年の宿望を果たすべき好適の治を手に入れた處から、餘生を全く此茶道場建設に捧げるべく、大正八年一月先づ多年本業とされた辯護士の職を廢すると倶に、各會社、銀行等の法律顧問も辞し、又法律の實際化研究に精進された木曜會等をも解散し、只一介の茶道行者となつて同年六月、木幡の土地整理に着手し、その内一部を割して道路を新設し、屋敷地を作り(略)

茶道に邁進するために身辺を整理した…というお話だが、もう69歳なんだからいい加減リタイアして悠々と余生を過ごしていいお年頃だったわけで。

んで、たまたま旧宅が高額で売れたこともあり、宗範は以下の様に決意する。

(略)
余自ら以為、余が精神天に感じて此天命を賜はりたるものならんか、
然ば茶道に依り國家に盡すは余の天職なりと信じ、是に於て最初の目的たりし、
自己本位の小規模の經営を罷め、國家的事業として此山荘を經営するの決心を為せり。
(略)

つまり、美田を子孫に残しても残るんだかわかんねーから、社会に貢献しよう、という考え方である。

因て更に此山荘を經営して、其敷地建物、庭園は勿論、余の所有する所の書畫、茶器、文房具および維持金若干をも併て之を寄附し、財團法人と為して、一は天下數寄者の共有物と為し、之に因て茶道の本義を實行せしめ、一は千古の後に至る迄之を保存して、社會公衆の參考に供せんと欲す。

ここで財団法人化、というのが弁護士らしくていい。
ここで美術館を設立…とかすると気軽に使えなくなるしね。

現代では相続税対策に行われている方法であるが、宗範の時代はそういう使い方でないだろう。

そしてこの財団法人は戦争を乗り越え、今も存続しているのだから、宗範の目論見は正しかったのだろうと思う。