高谷宗範傳12 喜寿

宗範喜寿の茶会の挨拶より。

さて目下の茶會の現状を見ますと、殆ど草庵式のみが流行し、書院式たる廣間の濃茶會は全然廢絶の姿です。
我が日本文化の發展が今日に於ては書院式茶會を復興し、且つ時勢に順應し、これを改善する必要のある事を咸じて近來此研究に没頭してゐる次第でございます。

つまり自分の喜寿の茶会で書院の茶に実験要素を持ち込んだ、ということらしい。

従來書院眞の臺子式は、正客と連客との接待方法に格別の輕重があつて、今日の眼を以て是を觀ると、此の如き差別待遇をすることは、聊か時代錯誤の咸があります。
さりとて一碗の濃茶飲廻はしは、草庵略式で、これを書院に用ふることは出來ません。
因て賓客全員に對し、一碗一服を献じ、各自平等の接待を致しました。

正客に台子の茶。残りには点て出しなのは不公平。

しかし一碗の吸茶では書院の式正感がない。

ということで宗範は正副二碗、それも彫三島の外花と内花を交互に使い、全客にお茶を練った様だ。
相当に時間のかかる手順だっただろう。

また従來は茶會の際夫人を出さない慣習でありましたが、今日の時勢で、夫婦共同で御接待いたす事が相當であると考へ

あと、夫婦同伴ありにしたらしい。

さらに

それから書院式飲食の方法は、本膳式に基き、頗る鄭重過ぎて今日の時勢からこれを觀る時は、實に繁褥に堪へませんから、此点大に改善すべきものありと考へ、今回は余の新案を以て書院式饗饌と命名し、時代と相當と思科する處の献立及び配膳順序などを組立て、初めてこれを實行することにしましたが

草庵の懐石にはしたくないが、本膳料理は重すぎる、ということで「書院式饗饌」を開発したと言う。

会記からすると

飯・汁・向・取肴・刺身・椀盛・焼物・浸物・煮合・吸物・香物・果物

であったようだ。


向と刺身が別であるのが面白い。
また、和菓子ではなく室町初期風に果物にしてあるのもこだわりポイントであろう。
取肴と浸物が別にあるが、八寸はないことから、千鳥はしなかったのだろう。
ああいう和気あいあいは台子の茶の前にはふさわしくない、と考えたのだろうか。


全体に堅苦しい印象の宗範だが、決して保守的なわけではなく、非常に勉強家で、工夫の人だったのがまた面白いところだ。