高谷宗範傳27 家族の人々
最後に。
先生が蝶子夫人を迎へられたのは、明治十三年十二月九日であつた。
(略)
爾來琴瑟相和し先生御夫妻の間には八女五男を儲けられた。
(略)
先生の如く長壽に惠まれ、物質に惠まれ、而して又斯く多くの子供さんにまで惠まれた方も實に珍しい、
お子さん達の生年と、蝶子夫人の年齢を表にしてみた。
明治 | 年齢 | イベント |
---|---|---|
13年 | 18歳 | 結婚 |
15年 | 20歳 | 長女 |
20年 | 25歳 | 次女 |
23年 | 28歳 | 三女 |
26年 | 31歳 | 長男 |
28年 | 33歳 | 四女 |
28年 | 33歳 | 五女 |
29年 | 34歳 | 次男 |
31年 | 36歳 | 三男 |
32年 | 37歳 | 六女 |
33年 | 38歳 | 七女 |
34年 | 39歳 | 四男 |
36年 | 41歳 | 八女 |
37年 | 42歳 | 五男 |
明治の女性も大変である。
…いや、大変の一言で済ませていいレベルでない気がする。のべ10年以上、お腹に子供が入った状態で42歳までを過ごしたわけだから。
宗範が「夫婦同伴の茶の湯を推進する」程に頭が上がらなくて当然な気がする。