講座日本茶の湯全史16 千宗旦と三千家の成立

原田茂弘著。

千宗旦が生涯どこにも仕官することなく、(略)
しかし「元伯宗旦文書」(千宗左編『不審庵伝来 元伯宗旦文書』、千宗左監修・千
宗員編『新編元伯宗旦文書』)という新たな史料によって浮かびあがったもう一つの宗旦像は、息子たちを大名家の茶堂として仕官させるべく奔走した父親としての姿であった

元伯宗旦文書は非常に面白い史料で、本ブログでも扱ったことがある。

元伯宗旦文書が語る生々しい宗旦とは、いい加減いい年の子を就職させたがり、金策をがんばり、病気で皮膚をボリボリ掻いてるじじいである。

戦後に現れた茶の湯の一級史料なんだけど、どーして刊行されたか良く判らない。
千家にダメージ多い史料だもん。

これに加えて最近ことに注目されているのは、宗旦が長年にわたって気の病を煩っていたことである。これまで宗旦が仕官しなかった理由として主に考えられてきたのは、宗旦が権力に身を置くことで利休の悲劇が繰り返される危険性を回避したという見方である。たしかにそれは千家を絶やさないための宗旦の懸命な策であったろう。
しかしそれだけではなく、宗旦の病がかなり申告であった事も大きな理由の一つとして重視されてようになった。

考えてみると、本当に権勢に近寄らない主義を貫くのなら、息子四人の大名家への就職活動自体がありえないよね。

ただ「病気だから大名に仕官しなかった」というのはどうだろうか?
宗旦が人生のどのぐらいの期間病気を患っていたかわかんねーわけだし。

著者は後ろで書いている。

そして、宗旦にいたって上層町人が千家の弟子層の基盤をなしたことを示している。

こっちのほーがもーかるからなんじゃね?とも思ったり。