講座日本茶の湯全史15 利休七哲

八尾嘉男著。

ここでは利休の高弟七人の顔触れと、彼らがいかなる足跡を残したのか、利休没後に茶の湯がどのように変わっていったのかを概観する前に、利休七哲という用語そのものからまず確認しておきたい。

ということで、江戸時代の15冊の書物の、24の説を表にしている。

そして江岑夏書の説のうち、蒲生氏郷、瀬田掃部、高山右近、芝山監物、牧村兵部の5人の来歴や茶風が語られる。

繰り返しになるが、宗旦の言として江岑宗左が記す五人をみると、秀吉の天下統一への道程がはじまって以降にしか、武家としての活躍が五人に共通して確認できない。
(略)
一八世紀前半に登場する刊本のなかで、秀吉時代の功績という基準に暗雲がたれこみだすが、一八世紀後半には武家ではない人物が七人のなかに含まれるようになる。

つまり、著者の意見は「社会が変化して利休七哲の面子が変遷した」というもののようだ。いかに茶風が凄くても徳川の御世では織部が外されるのも仕方無かろう。それ自体に異論はない。

ただ、「利休さんには立派なお武家様の弟子が七人もいたんやで」と語る側の動機に関して掘り下げていないのが残念な気がする。

私はこれは千家による長期的な宣伝キャンペーンだとしか思っていないので…。