講座日本茶の湯全史17 小堀遠州と片桐石州の作為

中村利則著。

まず遠州について。

ところで「好み」は二つの意味を持って使われている。
一つは「その人が自ら制作に携わった」という意味で、「好み候」などと動詞的に使う場合である。

当初遠州作とされていなかったものが、江戸時代が進む事に遠州作にすりかわっていったと著者は説く。

そして一つが作風が類似していて、○○風という意味で名詞的に使う場合である。
そうした遠州風が遠州作にすりかわっていくのに、「江月和尚」が介在していたのかもしれない。一八世紀中期、大坂で多くの茶書を著わし、「遠州流」を称した青木宗鳳は、その道統を津田宗及を祖として、その子江月宗玩へと継承され、それより小堀遠州、また黒田正玄・黒田正円・山田乗仙・青木宗鳳へ引き継がれてきたと説く。

遠州流は本来宗及流なんだ、という青木宗鳳のトンデモ本があったわけか…。
江月と遠州は仲良しではあるが、師弟関係があるようには見えないよなぁ。

江戸時代後期から明治期にかけて、道具や欄間の透かしに「遠州形」が量産され、デザイナーとしての遠州が周知されていく。

…案外、僕らが持っている遠州のイメージってのは「後に」「作られたもの」だったのかもしれないわけか…。

まぁそれはそれとして、それがそうでも実用上支障はなかったりもするんだけど。

お茶の世界は信じらてることこそ正。
灰形に坎の卦を書く様な世界なんだぜ。