講座日本茶の湯全史18 小堀遠州と片桐石州の作為2

遠州好みが遠州作を必ずしも意味しないなら、何が遠州の作風なのだろうか?

著者は

ここで改めて遠州とは何か、遠州風とは何かを問うため、遠州の自邸での作事を中心にその作為を検討していきたい。

なるほど。自分の茶室であれば、遠州ほどの茶人ならば必ず自分の作為があるだろう。
めかうろである。

ところで、『茶道四祖伝書』「甫公伝書」には「伏見六地蔵 小堀遠州守殿」として「四畳台目」の茶室図(図3)が掲出されている。(略)
遠州は作介時代の当初からこうした茶室を好んでいたのであろう。

しかしである。

そうしたなかで異例なのが真塗の框を入れた床の壁面で、席中と同様の土壁ではなく、床内だけは細川三齋から伝授されて反故貼りにしていた点である。

こういう面白い知見も得られるものの、どうももやっとする。

著者は「制作に携わった」という意味での遠州「好み」を解説したいようだが、ただ制作に携わっただけで好みと言っていいのだろうか?

紹鴎が四畳半を作ったら、みんなが真似した、という話があるが、四畳半は真似した人の好みものではなく、やっぱり紹鴎のものではないか?

つまり、大阪屋敷や伏見屋敷の茶室が…長四畳台目などの茶室の新規性が遠州によるものだと言えるほどの情報がそろっているのだろうか?

無意識のうちに通説に頼りすぎてるような気がしてならない。