講座日本茶の湯全史24 多様化する茶陶文化

筒井紘一著。

本稿では、茶の湯の陶器の流行について、茶会記から計量して概説している。

最近NHKでの露出が多く、研究者なんだか茶人なんだかタレントなんだかわからなくなりつつある著者だが、本稿は非常に読み甲斐があった。

不思議なことに和物茶碗として最初に登場するのは、天正六年に佐久間甚九郎が使った「備前茶碗」であり、その後も和物茶碗といえば備前物に限られていた。
(略)
そして興味深いのは、「瀬戸茶碗」が茶席にあらわれるとともに「備前茶碗」が全く姿を消すことである。

流行が以前の流行を上書きする事や。

遠州茶会における茶碗は、各種の高麗茶碗がいかに多くを占めていたかがわかる。

遠州の頃は高麗茶碗であったこと。

金森宗和の茶会でも高麗茶碗を五〇数会にわたって使っているのは遠州と同様だが、最も大きく違っているのは瀬戸茶碗が極端に少ないことと、逆に御室焼が極端に多いことであろう。

だが宗和はブローカー的に御室焼を宣伝し使っていたこと。

江岑の頭のなかで茶碗といえば、高麗と楽焼という構図ができあがっていたのではないかという錯覚に陥るほどである。

千家ではやっぱり楽だったこと。


そういう諸々が提示されて面白い。

時代が下がって行けば行く程、みなさんに商売気が出て来る感じがもう、ね。