講座日本茶の湯全史25 多様化する茶陶文化2

著者は、茶碗の種類だけでなく、香合の種類用法についても検討している。

炭手前の時に客の前で香を焚(原文では火+主)くという行為はいつ頃はじまったのだろうか。
(略)
最初の会は文禄二年(一五九三)正月一九日のこと。
(略)
朝鮮の役のために肥前名護屋城に在陣していた佐久間不干斎が仮仕立ての床無し四畳を建て、博多の豪商神屋宗堪一人を招いて、(略)懐石が出されたあと、不干斎の後炭点前を拝見する。
種々の道具を記したあと宗堪は
一スミトリ ヘウタン ツイ朱ノ香合
ホリモノアリ、スミノ上ニツキテ
と書いた。

つまり、利休生前には炭手前に香合を使う事が無かった可能性が有る。

利休が中年に達するころまでは、よほどの茶の湯巧者でなければ、客人が炭手前を拝見することはなかった(「烏鼠集四巻書」)。初炭は客人が席入り目に行われており、後炭は中立の間に行われていたからである。

利休の中年〜死の直後あたりの期間に

客前で炭手前をしなかった

客前で炭手前をするようになった

客前で炭手前をする時に香合を使うようになった

という順に茶道は進んだらしい。

この変化は炉の採用が大きい気がする。台子with切合風炉では、客前で炭手前もないもんだもんな。


そして陶器香合の使用例に関しても。

茶会記録のなかで焼物の香合が最初に登場するのは、慶長四年(一五九九)二月二十八日に古田織部の伏見屋敷で使われた「今ヤキ」(『宗堪日記』)である。

つまりこれ以前は香合は塗物だったということ。

じゃぁ炉は陶器、風炉は塗物という区別はいつはじまったかというと

こうした区別がはじまったのは、明治以後の千家だけのことのようだ。

やっぱりなー。

習いや規則が多い方が、それで儲かる人がいるもんなぁ。