講座日本茶の湯全史30 近代数寄者の茶と数寄空間
矢ヶ崎善太郎著。
「近代数寄者」の定義から。
これまでみえてきたことは、近代数寄者といわれる人たちの本質として、もちろん茶を嗜むということであるが、その茶以外に生業をもっていること。そして流派で学んだとはいえ、その流派にとらわれることなく自由に茶を楽しんでいたこと。この二点があげられるようである。
そして近代経済社会の営みによって得られた財力にまかせて茶道具(具足)を蒐集し、独特の茶風を切りひらいたことが加わるのであろう。
お金持ちこっそりお茶をしてた…だけでは近代数寄者じゃない気がするから、近代数寄者は近代数寄者同士のサロンに参加していたかが問題ではないだろうか?
高橋箒庵がそのサロンを実況したことで、近代数寄者の概念が定まったという部分もあるわけで。
あとは割と個別の数寄者とその茶室・庭の紹介となる。
ここで痛感するのは「近代数寄者」と呼ばれる財力のある人達であるからこそ、茶室や庭の紹介ができるんだな、と。だって私には専用茶室を作る事も庭を造園することも叶わないもんな。