近代侘び人

近代数寄者の定義が

  1. 茶を生業としない
  2. 財力があって茶が楽しめる

人だとしよう。

であれば:

茶を生業とし、財力がある人…家元宗匠の類。
茶を生業とし、財力がない人…お茶の師範のわりかし底辺層。

ということとになろうか。

すると最後に残ったのは

  1. 茶を生業としない
  2. 財力が無いがお茶を楽しんでいる。

という人である。とりあえずこれを近代侘び人としようか。

近代侘び人に関する研究はなされているのだろうか?

同じ時代の近代数寄者が研究できて、これができていないとしたら、研究者は箒庵などの資料に頼りすぎだという気がする。


近代侘び人がどう茶を楽しんで着たのか?それは現代侘び人がどうやって茶を楽しめばいいのかに対する指針であり、回答であったりするのだと思うのだが…。


…もちろん、回答が無い、という回答もありえるけど。