講座日本茶の湯全史32 茶の思想

美濃部仁著。

茶の湯とは何か、あるいは何であるべきか、ということが茶の湯においてはつねに問われてきた。
この問いは、茶の湯そのものの重要な一部分をなしているといえる。
もし茶の湯とは何かを問うことなく茶を飲むならば、それは茶の湯ではない、ともいえるであろう。

然り!然り!

手がかりとして次節では、岡倉天心(一八六二〜一九一三)・久松真一(一八八九〜一九八〇)・柳宗悦(一八八九〜一九六一)という、茶の湯に関心を寄せた三人の現代日本の思想家をとりあげた。

ダメだぁ〜!!!

第三節では、茶の湯において求められる心のあり方を、『南方録』に記されている物語を一つの例としてとりあげて、とくに茶の湯と禅の接点を問題にしながら、具体的に考えることを試みた。

結局、思想書といわないまでも、そーゆーのに援用できそうなことを書いているのが南方録だけ!という状況はお寒いばかり。
俺たちの茶の湯は「偽書」におんぶにだっこなんだぜい!